越えてはいけない一線は双方にあったと思う。
風刺は、政治に対して行うべきで、異文化を揶揄するようなことはしてはいけないんじゃないかな。

福島の原発事故の後、奇形の老人のような相撲取りの風刺がを掲載したのもフランスだったらしいけれども、あれをやられていい気分した日本人はいない。武器を手に取って襲撃に行こうとおもった日本人もいないだろうけど。

反日活動で安倍総理の顔写真を燃やす韓国人を見て、嫌悪感がわくけれども殺意はわかない。
安倍総理への思い入れがそれほど強くないし、日本国への愛国心も過激なほど強くないからだと思う。

だけど、自分が崇拝している存在を冒涜されたら、殺意が芽生えるほどの行為をされたら、それを表現の自由だから仕方がないと納得できるだろうか。

決して、殺人行為を肯定はしないし、もっとも許されない行為であるのだけれども、表現の自由だからなんでもありなのか。
表現がどんな結果をもたらすのか、わかりきっているであろう表現をあえてする必要があるのかな。

性器が映らないようにモザイクをかける。
そんなわかりやすい線引きができる表現の自由ならいいけれども、風刺画は難しい。でも、
相手を思いやる気持ちあってこその表現の自由でないと、何でもありの自由は危険。

武器を持って対峙するのはもっと危険。
越えてはいけない一線は守ろう。



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