SSブログ

海堂尊の「マドンナ・ヴェルデ」は、海堂尊の「ジーン・ワルツ」と同じ時間軸の話だった。 [本]

主人公の曽根崎がでてくるのは、帯に書かれていて知った上で読み始めたんだけど、この展開は読んだことあるなって既視感があって、ジーン・ワルツをひっぱりだしてパラパラ見たら、同じ時間軸だとわかり、作家はジーン・ワルツを執筆中からこの小説を書く事を考えていたのかな?

それとも、「ジェネラル・ルージュの凱旋」と「ナイチンゲールの沈黙」のように、同じ小説に詰め込もうとしていたんだけど、詰め込みすぎちゃうかなってことで二分割したパターンかな。・・・たしかそんなパターンであったはず。

続きを読むには、ネタバレあり。


マドンナ・ヴェルデ


マドンナ・ヴェルデ / 海堂 尊

ジェネラル・ルージュの凱旋
ナイチンゲールの沈黙


マドンナ・ヴェルデのテーマは代理母出産。
ジーン・ワルツは、たしか人工授精による妊娠出産をふくめて、産科医療について書かれていたはず。

読み終えて、代理母出産は、必要ない。

論理的に、医学的な説明は無感情な印象を受けて、出産と言うのはそんな論理じゃなくて感情が大事なんだ。って曽根崎理恵の代理母となった理恵の母のみどりの考えに共感できる。

理恵は、冷酷な魔女だったかな?そんな異名があるのだけど、理恵の夫も含めてかなりドライに、子を持つこと、出産を考えているので、みどりよりになってしまうのもあるだろうし。

だけど、感情的にならずに論理的、医学的説明が大事なのもわかる。

それでも、代理母に反対に人に「里親制度があるんだから、人のお腹を借りて出産させなくてもいいはずだ。」って言われてしまったら、世間は「そうだよな」になってしまうはずだし。
だって、遺伝的な繋がりを意識して、家族、親類と接している人なんていないだろうから。
育ててくれたことへの感謝の気持ちを持って接している人はいるけど。

ってことで、代理母出産は反対というか、高いハードルを設定して法律を整備していくべきだと思う。
ルールが曖昧なのは問題があるから。


小説の中での解決は、双子が生まれてきた。
理恵と夫は、妊娠中に離婚してしまうのだかが、みどりが理恵は医師として子を持つことをに意味を持っているが、母として子を持つことに意味を持っていないということで、夫に親権を主張することと手紙でやりとりをして、論理的な夫をやるこめるために「私は、あなたの遺伝的な子を妊娠している、あなたの妻にしてほしい。」てき一文で、親権を主張さえることに成功。

そして、生まれてきた子供を、理恵と元夫が親権をひとりづつにわけ、ひとりをみどりが預かるということで決着。


生まれてきた子供の幸せをなによりも考えるべきで、遺伝的にどうとかいいじゃないか。って感じなのだけど、子供たちの幸せを考えるならば、二人は一緒に育つべきだと思う。
理恵とみどりと双子の四人で暮らせばいいのに。みどりは理恵を母としての役割を子供を授かり育てる事の意味を教えながら示しながら生活していけばいいのに。

とはいえ、親子とはいえ、子供を奪い合った関係は、すぐには解決できないんだろう。


だけど、衆議院議員の野田聖子が、他人から卵子提供を受けて妊娠。って報道があったけど、代理母出産を認めるとそっちも認めないとダメだろって話になってしまって、大変だよな。

卵子提供で自分で産む。というのがありになってしまうと、ちょっと進んで受精卵の提供を受けて日本人の未婚の母が金髪外国人を出産することができるってことになるわけだし。
精子バンクというのも、ダメなのかな。

医学的進歩によって、倫理感も変化させる必要があるんだろうけど、なんとも難しい。



nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 1